Member
Introduction

繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

繋-TSUNAGU-

Vol. 59 2018.July

生涯に一度限りの出会い

株式会社公益社 燦ホールディングス株式会社

常務執行役員

池内義彦 様

私の座右の銘「一期一会」

略歴 PROFILE
1981年 株式会社公益社 入社
2001年 千里営業所長
2006年 業務統括本部 部長兼大阪本店長
2008年 公益社 執行役員
2010年 公益社 常務執行役員
2013年 公益社・燦ホールディングス常務執行役員
現在に至る

 

どん底からのスタート

私の人生はまさにどん底からのスタートでした。中学生になったとき、隣の小学校と合流し、その学校がワルで有名だったのですが、彼らと意気投合し仲良くなってしまいました。

高校生になるとさらにエスカレート。バイク通学、修学旅行先でのケンカなどで、停学処分を受けたこともあります。また、仲間と暴走族を結成し、ある祭りでは大騒動にまで発展し、新聞沙汰になったこともあります。 若気の至りとはいえ、お粗末極まりない有様でした。

不純な入社の動機

特に何かしたいわけでもなく、 3度目の転職が公益社でした。
最初は、祭壇の設営を担う仕事を担当しました。職人は 「おい、おまえ」の世界であり、 丁寧に教えてくれず、命令するだけ。その態度に腹がたっていました。あるとき、我慢しきれずついに爆発。その先輩を追いかけ回したこともありました。

ただし、理由もなく暴れ回っていたわけではありません。定時退社後に、赤提灯に飲みに連れていき、優しく諭し、受け入れてくれる懐の広い上司がたくさんいました。おかげでこれが最後の転職となり、何とか仕事を続けることができました。

変化は突然訪れるものです。当時の上司が「職人をやっても腐るだけだ。外に営業に行け」 と言うのです。上司曰く「おまえは理不尽なヤツには怒るが、お客様とトラブルになっているのを見たことがない。客商売のほうが向いてる」ということでした。

自分の潜在能力や適性など、考えたことすらありませんでしたから、営業職への異動に戸惑いを感じながらも、最終的には「チャレンジしてみよう」と決意したのです。

営業では、地道な業務を続けました。当社の社葬などでは、他社のトップの方々が列席されますから車の降車場で長時間待ち続け、下りてこられた瞬間に挨拶し、顔と名前を覚えてもらうことなど朝飯前でした。「将を射んとせばまず馬を射よ」とばかり秘書、総務部の方々とも仲良くしました。

発注をもらうと、周囲は褒めてくれたのですが「がんばった」という記憶はありません。
単純にお客様と仲良くなるという感覚です。
もともと人好きな性分ですし、誰と話すときでも慇懃無礼にならず、本音で話していました。こうした態度を気に入ってもらえただけなのでしょう。

透明性の高い経営への転換

当時、会社には古い体質を改善すべき時期が迫っていました。その時、播島幹長さん (のちに社長、 現社友) は当時から違いました。

「古い体質を打破しないと、株式上場できない。上場できなければ他社にシェアを奪われるだけで、我が社に未来はない」 と言うのです。
ただし、播島さんに反対する勢力は多く、いろいろな嫌がらせを受け、改革は一筋縄ではいきませんでした。

混乱の中、辞めていく同僚も多かったのですが、私は私のことを特別に目をかけ育ててくれた播島さんをただただ信じて、ついていっただけです。

2001年9月3日。東証・大証1部に株式上場を果たしました。それは悪弊の多かった葬儀業界としてはじめて「透明性の高い経営姿勢」に対する外部評価を得ることに成功した瞬間でした。

上場して会社が大きくなるとともに、依頼の規模も拡大しました。大手食品会社 N社の創業者の社葬を、大手広告代理店A社と共同で請け負うことになりましたが、主導権はA社にありました。
これまでであれば、A社からのアイデアに基づき、我が社は設営など下請け仕事に甘んじることが多かったのは事実です。「そんな状態では上場企業とは言えない」 と考え、 正式な仏葬による読経、設営方法、服装や弔辞のマナーを、最大限にまで質を高めた正統派の演出をアピールすることで、無事、我が社主導の社葬を成功させることができました。

また、元メンバーシップ・コミッティ委員長である故宮本一さんが会議を休まれた際、連絡がなかったので心配しました。その後も欠席が続き、他のコミッティ委員やメンバーからも不安の声があがり始めました。

仕事上、宮本さんの会社の方々と懇意にしていたおかげで、体調を崩されよくない状況にあることを早々に知りました。そこでメンバー間で、無用な波風が立たぬよう、宮本さんを慕っていた方には、そっとオフレコでお教えさせてもらいました。「よくぞ教えてくださいました」と感謝され、その方との信頼関係が深まることになりました。

ハダカの付き合いをすべし

10年ほど前、播島さんから「私の代わりにGCCOに行きなさい」と言われました。社友は我々凡人とは違う視点で大局を捉えておられるので、素直に従いました。

いきなりコミッティ委員に推薦されたときは流石に驚きましたが、すぐにGCCOという組織が好きになりました。

GCCOには大企業の方々だけでなく、中小企業やベンチャーなど元気で馬力のある経営者の方々がいらっしゃるので、マ ンネリ化せず、常に新しい刺激を得ることができます。総支配人をはじめ多くのスタッフは親切で礼儀が正しく、場所柄、気軽に立ち寄れることも魅力です。

またコミッティ委員として、当社の千里会館の見学会並びにエンバーミングの講演、食事会、嵐山天龍寺での座禅と精進料理の試食会などのイベントを企画しました。

プライベートでは、最近ゴルフをはじめました。また、家族とよく温泉にいきます。温泉では激務でよごれた身体、精神が癒やされます。私は暴走族時代から、どんな人に対しても、かざらず、自然体のまま、ハダカの付き合いをすることだけを心がけてきました。

私が誇れるものは何一つありませんが、私をサラリーマン社会のなかで常務まで引き上げてくれたのは、偉大な上司、お客様との出会いであり、そのなかでハダカの付き合いをしてきたからだと思うのです。

座右の銘は一期一会です。これは仏教用語で「生涯に一度限り」という意味だそうです。 振り返ってみれば、公益社への入社、営業職への異動、上場、GCCOへの入会などすべての転換期に、すばらしい人達に恵まれました。人と人が自然につながっていく、それこそが仕事の本質ではないしょうか。

素直な気持ちをぶつけてみんかい

以前、何が間違っていたのかわからず、完全に自信を喪失した経験があります。そんなとき私が目を掛けていた後輩スタッフが辞めたいと言い出しました。引き留めたいと 、思ったのですが、勇気がでません。そきのとき相談にのってくださったのが池内常務です。
「ごちゃごちゃ考えずに、素直な思いをぶつけてみんかい」と。ハッと目が覚めました。
その後、池内常務はその後輩と私が同席する場を設け、話しをするきっかけをつくってくださいました。その後、そのスタッフはGCCO をささえる大黒柱の一人として立派に成長してくれました。困ったとだからこそ頼りになる、池内常務はそんな存在ように感じます。心からご尊敬申し上げています。(編集子)

 

(インタビュー記事:ライティング株式会社)

会員様インタビュー一覧へ
お問い合わせはこちら