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繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

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繋-TSUNAGU-

Vol.53 2017.July

どんな場所でもどんな仕事も諦めない “Key Factor Of Success”を掴む力

株式会社あしすと阪急阪神

代表取締役社長

天井規雄 様

私の座右の銘「着眼大局着手小局」

天井 規雄 略歴 PROFILE
1958年生まれ芦屋市出身 大阪市立大学卒業
1981年4月 阪神電気鉄道株式会社 入社
1994年7月阪神グループにおいて、六甲山上の オルゴールミュージアムのプロジェクトを 手がける
2003年7月株式会社ウエルネス阪神 代表取締役社長に就任
2007年7月 阪神総合レジャー株式会社(現:六甲山観光株式会社) 代表取締役社長に就任
2009年6月株式会社エフエム・キタ 代表取締役社長に就任
2014年6月株式会社あしすと阪急阪神 代表取締役社長に就任
現在に至る
公益社団法人日本植物園協会 名誉会員
公益社団法人全国重度障害者雇用事業所協会 理事兼大阪支部長
全国障害者特例子会社連絡会 運営委員
重度障害者雇用地方相談協力員
大阪府障がい者雇用促進センター 障がい者雇用支援員

 

憧れのタイガースのもと、 叶えたい夢

子どもの頃から大のタイガースファンだった私は 「タイガースにかかわる仕事をしたい」 と熱望し、 阪神電気鉄道株式会社に入社しました。
入社直後は、 大学で学んだ会計学を活かせる、経理部門へ進みました。
それから6年後には、 事業部の企画部門に異動し、 そこで六甲山の観光開発を担当することに。そのときの話し合いの末、建設が決定したのが 『六甲オルゴールミュージアム』 です。

〝木が多い 〞という六甲山の特性に加え、1900年頃に〝外国村〞として六甲山が開発された当時、欧州で流行していた〝自動演奏楽器 〞の存在に着想を得て、自ら構想を練った企画でした。

建設当初は隣接した「六甲高山植物園」から「そちらに人が集まる分、 うちの植物園は集客が半分以下に減る」 と反対も受けました。
しかし 、そもそも〝六甲山〞への集客を増やすための企画でしたので、同時に植物園の来場者数も跳ね上がり、 事なきを得たのです。

じつは、今や六甲山の代名詞と呼ぶに相応しい 『六甲枝垂れ』 というアート建築の展望台建設も私が遂行しました。 さらなる観光開発のためにも、六甲山の 「へそ」 となる施設がどうしても必要だったわけです。

〝人が嫌がる仕事〞にこそ活路がある

オルゴール開設から数年後、甲子園球場近くでフィットネスやレスト ランの運営を担うグループ会社の代表取締役社長に就任しました。
ところが、 いざ入ってみると、 経営状況は理想的とは言えず、加えて、グループ会社だからと言って、簡単に甲子園球場に出店させてもらえない、厳しい状態に置かれていることが分かったのです。

それでも諦めきれず、出店交渉に赴いていたある日 「球場内のVIP専用レストランは、 運営面、 採算面等を考えると大変で難しい」 という話を聞いたのです。
「その店なら運営を任せてもらえるかもしれない」 球場に近づくための一縷の望みが見えた気がし、その店の運営に名乗り出ることを決意しました。

成功の鍵となる要因を、いち早く見抜け

そのレストランの利用者は、野球の解説者や関係各社の上層部の方々です。
ゆえに、お客様は試合開始前の「30 分」 に集中するため、 店内は大忙し。 さらに、普段、美味しいものを食べなれている皆様に 「おいしい」 と言わせるものを、関係者価格の 「安い料金」 で提供しなくてはなりません。

むろん、社内では 「やっかいな仕事」 を持ってきたと批判が殺到しましたが、 私には、 必ず成功させる自信があったのです。
それは、 たとえば、 従業員の接客態度に穴がありました。忙しさのあまり厨房の前で料理を待つばかりで、 お客様にはなんと、 お尻を向けていたのです。

厨房側も、忙しくなるのが分かっているのに食洗機すらない始末。サービスとFL値コスト (食材費+ 人件費) の見直しに着目したのです。
すぐにメニューを改定し、従業員は総入れ替えし、 一から教育をはじめ、 球場の協力を得ながら店内設備も一新しました。

売上が低いので採算はとれませんでしたが、球場側の信用を得ることができました。
そこから他の店も任せてもらえるようになり、みるみるうちに業績が回復していったのです。

どんな仕事にも Key factor of success つまり成功の鍵となる要因が必ずあります。 その要因をいち早く見つけ、 素早く取り組むこと。 そうすれば、 自ずと進むべき道は開けていくものです。

孤立無縁のアウェーな職場で

その後、 2社ほどグループ会社の代表を務め、 現在は株式会社あしすと阪急阪神の代表を務めています。 ここは、 阪急阪神ホールディングスグループの特例子会社、 つまり従業員の大半が障がい者です。

会社は、 阪急電鉄本社ビル内にあり、 着任当時は阪神の人間だった私を知る人は、誰ひとりいませんでした。 ゆえに、代表でありながら 「口を聞いてくれる人は極めて少なく、指示すらろくに通らない」 完全アウェーな職場でした。

しかしながら、私がこれまで見てきたどんな社員よりも愛社精神に溢れ、毎日、腐らず真面目に働いている障がい者従業員たちの姿には、 日々、感動していたのです。 ただ、気がかりだったのは、彼らが自分の仕事に対する自信や、向上心、そして誇りを持てないでいるように見えたことでした。

私はそんな姿を前に 「彼らにも自信や、やりがいを与えてやりたい」 と考えるようになったのです。

孤軍奮闘の末の快挙!

私が一番気になったのは、 社員旅行です。 彼らの旅行はいつも、 保護者付きの日帰りツアー、 それではただの家族旅行ではないですか。
そこで私は家族抜きの一泊旅行を企画。当然、社内からは反発の声があがりましたが、なんとかときふせ強行したのです。

結果、反対していた社員たちも「行ってよかった」 と誇らしげに話すほど、彼らには自信がつき、それに伴って生産性が大きくアップしました。
もちろん今では私を信頼して、進んで指示や意見を聞きにきてくれるようになりました。
その甲斐あってか、職場定着率もグンと伸び、従業員数169名のうち、118名を障がい者が占めるという嬉しい結果を得るに至ったのです。

〝代打の神様〞ここに在り

本社勤務ではなくグループの関係会社ばかり、4社の代表をやってきた私を周囲の人たちは「大変そうだね」 と言います。 しかし、大変だからこそ〝大きく変わる瞬間とチャンス〞が待っている、と肯定的に捉えるべきだと思うのです。

たしかに、苦労の多い現場ばかり任されてきました。 ですが、花形部署にいることだけが仕事の幸せではありません。
野球にたとえれば、スターティングメンバーに選ばれることだけが一番ではない。そのメンバー全員、 調子がいいとも限らないのです。

忘れてはならないのは、ほとんどの場合、絶対に失敗の許されない状況のなか、そこで誰かが代打で登場しなければならない、ということ。
私はその〝 代打 〞なのです。

どんな場所でどんな仕事をしていても、会社にとってピンチのときの〝代打の神様 〞でいられるなら、それはタイガースファンの私にとって、 この上ない幸せなのです。

オフスタイルは音楽で彩る

今年の3月から、GCCOバンドの一員に加わり、ドラム演奏を新たな趣味として始めました。皆さんに初お披露目するのは8月23日ですが、もうすでに緊張の汗が止まりません (笑)

GCCOではバンドの他に、アクティビティ委員として、そして毎年12月の第一日曜日に大阪城ホールで開催される 「サントリー一万人の第九」 への参加を目指す同好会 「第九同好会」 のリーダーとしても活動しています。 大迫力の演奏と歌声、そしてベートーベンの交響曲の素晴らしさには、歳々感動と興奮が止まりません …。 皆さま、会場でお待ちしていますので、ぜひ一緒に盛り上がりましょう。

編集後記【100年後の世界を考えよう!】

天井様が阪神電気鉄道株式会社の企画部門時代に、当時の上司の方から 「企画を作るときは、 100年後の世界の潮流を見なさい。それから100年後の日本の風潮を、さらにその中で100年後の業態を見なさい」 と教わり、その言葉が全ての仕事の軸になったというお話しを伺いました。

それが、天井様の座右の銘 「着眼大局着手小局」 に繋がっているのでしょう。「仕事の中では、 まず大きな視点で物事を捉え、進むべき方向性を見つけてから計画を立てる。しかし、大きすぎる構想ゆえに、何も手がつかなくなってしまうことは多い。だからこそ、目の前のできることから着手して、シンプルに進めることです」と、その意味をお教えくださいました。

100年後のGCCOはどうなっているのでしょうか。私も一所けんめい考えたいと思います。 (編集子)

 

(インタビュー取材:ライティング株式会社)

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