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繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

繋-TSUNAGU-

Vol.60 2018. September

8割聞いて、2割だけ話す

山田コンサルティンググループ株式会社

シニア ・ アドバイザー

寺西賢作 様

私の座右の銘「過去は運命 未来は可能性」

略歴 PROFILE
昭和26年11月28日生まれ

昭和50年 4月 住友銀行(現三井住友銀行) 入行
昭和62年 2月 同 証券部 株式投資班 班長
平成 4年 1月 同 本店営業第一部 次長
平成 6年11月 住友キャピタル証券 引受部長
平成 9年 5月 住友銀行 玉造支店長
平成11年 4月 大和証券SBCM 共同部長
平成16年 5月 鴻池組 常務執行役員
平成23年10月 同 代表取締役副社長
平成29年12月 山田コンサルティンググループ株式会社 シニア・アドバイザー
現在に至る

 

 

随分以前からインタビューの依頼を受けていま したが、表紙の習字がヘタなことや、 意外と恥ずかしがり屋であることから逃げまくっていました。
先日GCCOの田中総支配人から 「そろそろ観念してください」 と脅されて(笑)、もう断り文句も見つからず、大変お待たせしましたという気分でお受けさせて頂いた次第です。

銀行に入ったつもりが証券マン

父は金属メーカーに勤めておりましたが、 恥ずかしながら大酒飲みで、よく母を困らせていました。そこで同じ血を引いている私には堅いイメージのある企業に勤めることを希望しておりました。

私も母が安心するならばとの思いで、昭和50年4月に住友銀行に入行しました。
最初に配属されたのは堺筋にある高麗橋支店でした。何とここには当時としては珍しく7年もいました。

一緒に入った同期を見送り、かわりに転入してきた同期もまた見送り、 まだコツコツと外回り (営業の外交)をしていました。しかし、本当に支店長・上司に恵まれて、事務方 2年、外国為替・貸付業務を学んでから本職(一番向いている) と思われていた営業にまわしてもらいました。

今思い返せば、長くいるというだけで支店の皆さんに可愛がられていたと思います。 昼食を取る食堂のおばさんは私には少し大盛りにしてくれました。守衛のおじさんはよく山登りに連れて行ってくれました。上司・先輩ともよく飲みに行ったり、麻雀もしました。 私にとっては本当に楽しい銀行員生活でした。しかし、反面それは私を「温室育ち」にしてしまいました。少しやんちゃで甘えたでは後が大変でした。

その後本店営業三部に転勤しましたが、ここでは2年、次の船場支店は1年2ヶ月でした。銀行員生活はここまでで、後は海外証券業務トレーニー1年2ヶ月、証券部6年、住友キャピタル証券4 年、大和証券SBCMに5年と、何と16年も証券業務に携わっていました。住友銀行に籍をおいたのは 31年でしたから、半分以上が証券業務でした。

しかしこのことが後の私の人生に非常にプラスになりました。と言いますのも、銀行時代に担当する顧客数はせいぜい十数社です。ところが、住友キャピタル証券、大和証券SBCMの大阪支店時代は大阪府下全ての企業がお客さんです。どこへ行っても全てお客さんです。本当に毎日よく廻りました。一日に5軒、お客さんを廻りました。「また、 来たのか」 と言われても又伺いました。8年半続けました。本当によく廻りました。お客さんはさぞかし迷惑だったでしょうね。こうして私の31年間の銀行員生活は明 ・ 暗 ・ 明-最後良ければ全て良しですが-で終わりました。

第二の人生

ある日銀行の役員に呼び出され言われました。
「そろそろ大和証券SBCMから帰って来い。だけど銀行にはもう席がないので、どこかに出てもらう。貴職(銀行では改まった時にこの言葉を使う。あなたと言う意味)はどういうところに行きたいか」 と。すかさず返事しました。「毎晩飲んでも違和感のないところをお願いします(笑)」 と。あまりにも突飛な返答だったので怒らせてしまいました。

その役員はヘンに真面目な人だったのです。しかし、色々と考慮して頂いた結果だと思いますが、大阪の中堅ゼネコンの鴻池組さんに出向することになりました。あるお客さんに 「銀行・証券・ゼネコンとだんだん似合ったところに行くな」 と褒めて頂きました。

当時バブル崩壊後のゼネコンは大変でしたが、ここでも色んなお客さんと知り合いになりました。何しろまた一日5軒廻るのですから。今度も大阪中の企業が全てお客さんですから。そして金融機関では中々接しない義理・人情の世界にどっぷりとつかりました。当社が本当にしんどい時でも全く動じない協力業者さん、従来と変わらずお仕事を発注してくださる古くからのお客さん、本当に良い世界でした。

視点を変えれば、 道が拓ける

GCCOとは、鴻池組時代からのお付き合いです。入会後は、ハウス・コミッティに名を連ねることになりました。まずはできることから取り組もうということで、出身大学の経済学部同窓会の会合をGCCOにて開催することを企画したのです。
ちょうど、同窓会は出席者数に伸び悩んでおりました。それまでの会場の立地が悪く、 出されるお弁当も500円ぐらいのものでした。GCCOが会場だとシェフの本格料理が手軽に食べられる、という理由で同窓会員の出席率が増えました。その後、他大学の同窓会もGCCOで多く開催されるようになりました。

聞き上手の本当の意味

お客さんと話をする時は 「聞き上手であれ」とよく言われます。
わたしは基本的にこの考えには賛成です。仕事上のキーマンとの商談時などは、持ち時間のうち、8割は相手の話を聞くべきです。焦るばかりに自分が8割の時間を使ってしまうと、 商談は失敗だと思っています。

人間誰しも「どんな人が魅力的ですか」と問われれば 「よくしゃべる人」とは答えませんよね。「自分の話を親身に聞いてくれる人」 と答えるのではないでしょうか。聞き上手は、ビジネスの基本なのです。

ただし、聞いてばかりではダメです。持ち時間の2割は効果的に相づちをうったり、 相手のニーズに合う情報を提供しなければなりません。そのためには、相手よりもよく勉強し、自分を磨いておく必要があります。

もし相手が10のことを知っているとすれば、自分は事前に12の知識を仕入れておく。 ただし、12の全部を話す必要はありません。持ち時間のなかで、2 割程度をつかうだけで必要十分なのです。

考えるより、 まず動く

私は結構読書が好きです。知識は人間の幅を広げますが、読書は人間の深さを作ります。
歴史小説が好きで、中でも岩波の『三国志演義』を何度も読み返しました。では三国志の中で誰が好きかと言いますと、張飛です。諸葛孔明と関羽はまずじっくり考えてから動きます。張飛はまず動いてから考えます。時々考えない時があるから困ったものですが。しかし何でもとり合えず第一歩を踏み出すことが大事だと思っています。大ケガをすることがありますが、昔からよく言われているように
1.No Play, No Error
2.向う傷は恐れるな
3.成功の反対とは失敗ではなく、挑戦しないこと
4.成功するとわかっていることをやるのはチャレンジとは言わない
である。

最後に一言。私達メンバーは、出身地・年齢・仕事など、実にバラエティにとんでいます。ですが、GCCOは経営者同士のつなりがりを大切にし、お互いに支え合うという考えのもと集まっている素晴らしい組織です。

関西にこれほど有意義に活動している団体は他にありません。そんな組織とメンバー両方に対して、改めて謝意を述べさせてもらいたいと思います。

編集後記【やるべきことを「先延ばし」 にしない大切さ】

寺西さんは仕事でもプライベートでも、やるべきことを 「先延ばし」にされません。〝 また〞と〝幽霊〞は出たためしがない」 と言うのが口癖です。そこで エピソードをひとつ。あるとき、GCCOのメンバーで美味いものを食べに行こうという話になりました。

「機会があれば…」という雰囲気になったそのとき、寺西さんはその場で、親しい店にすぐ予約の電話をいれ、予定を確定させてしまいました。その場に居合わせたメンバーは、そこまでやってくださるのであればと、参加せざるをえませんでした。こういったことが何度か続くうち、いつの間にか「食べ歩きの会」というものに発展し、参加したGCCOのメンバーが意気投合、議論が活発とはいえなかったコミッティなどの会議も熱く盛り上がるようになったのです。(編集子)

 

(インタビュー取材:ライティング株式会社)

 

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