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繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

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- 「失敗」と「人」に支えられて歩んだ道
燦ホールディングス株式会社
代表取締役社長
播島 聡 氏
(略歴)
1987年4月 株式会社リクルートコンピュータプリント
(現株式会社リクルート)入社
1999年4月 株式会社公益社※入社
※2004年に燦ホールディングス株式会社に商号変更
2019年4月 燦ホールディングス株式会社
代表取締役社長に就任
青春のすべてをかけたバンド活動

私の原点は、高校の軽音楽部です。それが高校生活のすべてでした。とにかくのめり込みすぎて、
勉強はほとんどせず、遠回りをしながらも、甲南大学に入学しました。入学後は、思いがけず「体
育会クルージング部」に入部することになります。海に出て、風を読み、船を操る。
一方で音楽への情熱も冷めることはなく、ブルーグラスやロックに没頭していました。毎週日曜日は三宮のライブハウスで演奏する日々ーーそんな「二足のわらじ」の生活ですから、当然、学業はおろそかになります。必修科目が一単位足りずに留年、大学を出たときは二十五歳でした。
ただし、大学生活で得た教訓は「責任」と「楽天的な行動力」かもしれません。クルージング部では主将を務め、外洋に出ました。神戸の須磨から種子島まで、部員の命を預かって航海するわけです。
船の維持費を稼ぐためのアルバイト、OBの会社を回って寄付もお願いしました。「無理だと決めつけず、まずはやってみる。そうすれば誰かが助けてくれる」。この経験が後の仕事観の根底にある「主体的である」に繋がっているように思います。

失敗の現場で学んだこと
就職はリクルートコンピュータプリント(現リクルート)という雑誌などの制作会社でした。まだ大学の単位が残っている状態を特別に認められての入社で、人事部長には厳しく叱られました。
平日は東京、週末に一度だけ授業のために神戸へ帰るーー会社では肩身の狭い思いをしましたね。
入社から数年後、最悪のトラブルを経験しました。発行する雑誌のバーコードの印字ミスです。
絶体絶命のピンチです。その時、私を救ってくれたのは仲間たちでした。深夜の印刷工場に二百人近いスタッフが集まり、手作業でシールを上から貼るなど、皆が必死になって助けてくれました。こうしたミスやクレーム、そして誰かに助けられた経験によって、私は人として、社会人として成長させてもらったと思っています。
お葬式の「現場」で知った命の重み
平成十一(一九九九)年、父が専務を務めていた「公益社(現・燦ホールディングス)」に入社しました。父から誘われたわけではありません。父と酒を酌み交わし、上場準備や東京進出の話を聞く中で自ら興味を持ったのがきっかけです。「入るなら、現場からやってもらうぞ」。 父の言葉通り三十九歳からの「お葬式の現場」での修行が始まりました。世田谷の営業所に配属され、二ヶ月の研修を経て初めて担当したのは、小さなお子様のお葬式でした。ご自宅へ伺うと、そこには私と同世代のご夫婦がいらっしゃいました。部屋の中にはお子様が好きだったTVアニメの曲が流れ、小さな布団にお子様が寝ている。その光景を見ただけで、胸が締め付けられる思いでした。ご遺体のケアのためにドライアイスをお身体の上に置くのですが、大きなドライアイスをそのまま乗せるのは忍びなくて、できるだけ小さく砕いて添えたのを覚えています。
リクルート時代の仕事は、広告主や印刷会社とのやり取りが中心で、エンドユーザーの顔は見えません。しかし、お葬式の現場は違います。お客様とダイレクトに向き合い、その人生の最期に関わらせていただく。ご家族の悲しみ、兄弟姉妹間の確執、その家の歴史……。お客様との距離がとても近く、これほど社会的意義のある仕事はないと痛感しました。現場を知ることで、私は確信しました。この仕事で最も大切なのは、マニュアルではなく「従業員一人ひとりの心」なのだと。
経営者としての壁

大阪に異動になり、現場の責任者や研修所の所長を務める中で、私はある大きな壁にぶつかりました 。それは「経営層の息子」という立場ゆえに向けられるプレッシャーです。自分では率先して動き、丁寧に、フランクに接しているつもりでも、現場との間にはどうしても目に見えない壁が存在していました。
そんな私をいつもサポートしてくれたのが、人生の先輩であり、現場を知り尽くした、現 特別顧問池内さんの存在でした。時には耳の痛いことも含めて現場のリアルな声を私に聞かせてくれ、一方で私の考えを現場に浸透させるための「信頼できるフィルター」になってくれました。
池内さんのサポートがあったから、私は孤立することなく、従業員の皆さんと心を通わせることができたのだと思います。
経営者の顔が前に出すぎない会社
最近、バイオリニストの高嶋ちさ子さん一家がテレビで亡きお母様のご葬儀の話をされた際、弊社を名指しで「本当に素晴らしい会社だ」と絶賛してくださいました。この時も、評価されたのは、会社の経営者ではなく、サービスを支える従業員の振る舞いでした。これこそが私の目指している姿そのものです。私の理想とする会社像は、一言で言えば「経営者の顔が前に出すぎない会社」です。「社長が誰かは知らないけれど、あの会社の従業員さんは本当に素晴らしい」。そう言われる会社にすることを目指しています。そのために私が従業員に伝えている言葉が「主体的である」ということです。一人ひとりが内発的な動機を持って働ける環境さえ整えば、組織は自然と強くなるはずです。現在、私たちは二〇三二年の創業100周年に向けて「葬儀事業の全国550会館体制の構築と、ライフエンディングサポート事業の売上100億円達成」 という高い目標を掲げていますが、これも従業員一人ひとりが主体的に行動すればかならず達成できると確信しています。
GCCOでのバンド活動

仕事に没頭する一方で、プライベートの時間も私にとっては大切な学びとリフレッシュの場です。休日は、妻と一緒に過ごしたり、仲間と旅行にいくことが多いですね。
そして、私の人生から切り離せないのが音楽です。GCCOのスタッフの熱意にほだされ、エレキギターを新調してGCCOバンドのメンバーに加入しました。
やはり音楽は楽しいです。現在は業務が多忙なため「休部中」ですが、一年のブランクを経て復活するときには、また皆さんに楽しんでいただける演奏を届けたいと思っています。養護施設でのチャリティコンサートにもチャレンジしますので、ぜひライブに来てください。GCCOは利害関係を越え、人として本気で付き合える素晴らしい方々が集まる場所です。人生をいかに楽しむかを体現している皆さんに囲まれ、私も大きな刺激を受けています。GCCOは私にとって「温かい港」のような存在なのかもしれません。
「まずはやってみる。なんとかなる」。 学生時代のクルージング部で学んだあの楽天的な精神を忘れず、人、仲間という財産に感謝しながら、人生という長い航海を楽しんでいきたいと願っています。
編集後記
今回の取材を通じて、あらためて播島さんの仕事や人への向き合い方に触れることができました。
10年ほど前に、仕事で悩み落ち込んでいたことがありました。
その時、播島さんから励ましのお言葉と共に、ケント・キースの「逆説の十か条」を送ってくださいました。
「正直で素直なあり方は、あなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で、率直でありなさい…」「あなたが良いことをしても、人はあなたを非難するかもしれない。それでも、ともかく良いことをしなさい…」
その言葉は、当時の私の心に寄り添い、とても救われたことを覚えています。それ以来、「逆説の十か条」を手帳にはさみ、迷ったときや何かあるたびに読み返すようにし、今も私の日々の仕事の姿勢や考え方の指針となっています。私にとって播島さんは、迷ったときに進むべき道を照らしてくださる「心の師匠」のような存在です。
(インタビュー記事:ライティング株式会社)

