Member
Introduction

繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

繋-TSUNAGU-

Vol.75 2024.November

相手の心の声に耳を澄ませ、真のニーズに寄り添う

BIPROGY株式会社

業務執行役員 関西支社長

竹内 裕司 様

BIPROGY株式会社

業務執行役員 関西支社長

竹内裕司 氏

 

(略 歴)

1987年  3月  自由学園最高学部 卒業

1987年  4月  日本ユニバック株式会社(現BIPROGY) 入社

1999年10月  同社 関西支社に転勤

2002年  4月  同社 関西支社 金融営業部長

2009年  7月  同社 経営企画部 経営企画室 担当部長

2011年10月  同社 金融第二事業部長

2018年  4月  同社 業務執行役員 ネオバンク戦略本部長

2021年  4月  同社 業務執行役員 中部支社長

2022年  4月  同社 業務執行役員 関西支社長

 

 

自由な学校から、赤坂のサラリーマンに

 

小学校から大学まで16年間、「自由学園」という一風変わった学校に通いました。帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライト氏が手がけた校舎があり、学園名の通り、生徒が主体的に自由に学べる学校です。机上の勉強より実体験を重んじる校風で、畑仕事から、農場での牛の世話、豚舎を作って豚の飼育など、屋外活動が盛りだくさんでした。学生時代は登山やサッカー、スキーに明け暮れ、遊んでばかりいました。

卒業と同時に、BIPROGYの前々社名である日本ユニバック株式会社に入社しました。赤坂の本社には、当時花形の最新式大型コンピューターがあって、観光名所になっていたほどです。就職先を決めたのは、「あんなかっこいいコンピューターを売ってみたい」という漠然とした思いと、赤坂の地への憧れだけでした。

入社当時はバブル全盛期、しかも赤坂です。毎晩、先輩について街に行き、日付が変わるまでお酒を呑む日々。「サラリーマンってこんなに楽しいんだ」と思いました。終電車を逃したときはカプセルホテルのお世話になるか、会社に戻って応接室で仮眠をとるかして、翌朝、何食わぬ顔で出勤します。そのために、替えのネクタイを何本か会社に置いていました。親が心配して「息子が1週間帰ってこない」と会社に電話をかけてきたこともありましたね。思い返せば自由奔放で、体力勝負の下積み時代でした。

 

営業マンの修行を積んだ大阪の街

 

入社から12年で関西支社へ転勤、その後3年後に金融営業部長となりました。生まれて初めての関西で、お客様に受け入れていただけるかとても心配でしたし、「商いの街」というイメージが先行して、理屈抜きで値切られるのではという不安もありました。ところが、実際に営業をしてみると、関西のお客様は確かにお金にはシビアでしたが、こちらが手の内を隠さずありのままを説明すれば、納得していただけることが分かりました。むしろ、駆け引きやごまかしは相手にされない。私の抱いていたイメージとは真逆でした。

異動と同時に仕事上の判断を背負う立場になり、失敗もたくさんしました。失敗しながらも、自分の力で着実に仕事を進めていく。それができるようになったのがこの時期です。毎晩遅くまで会社で仕事をして、仲間と呑んで帰る、そんな生活でした。一番苦しんだ時代であり、同時に、一番思い出深い時代でもあります。関西のお客様にしごいていただき、成長させてもらいました。

 

 

成約の鍵は、お客様の「上位目的」

 

営業で心がけていたのは、お客様の「上位目的」、すなわち、真のニーズを理解することです。表面上の要望を聞くだけでなく、深く掘り下げて、どこからその要望が出てきたのかを考えること。これを繰り返せば、さらに奥にある、本質的なご要望が見えてきます。そこまで理解できれば、お客様も信頼を寄せてくださって、「既存のコンピューターベンダーからユニシスに切り替えるストーリーを一緒に作る」という思いを共有し、同じゴールに向かって進めるようになります。

おかげさまで、数件の大型案件を受注することができ、ようやく一人前の営業マンになれた、と感無量でした。

 

 

メンバーを尊重して活気あるチームに

 

大きな案件を成功させるには、社内のチームワークも重要です。しかし私は、あえて統制を取ることはしません。「お客様の上位目的を聞く」という意識だけはしっかり共有しますが、あとはメンバーそれぞれに任せて、自由に動いてもらいます。チームにいる後輩や部下はみんな自分より優秀なはずだから信頼する、というのが私の考えです。執行役員になってからも、そのスタンスは変わりません。社員は自主的に考え、生き生きと営業に出かけてくれます。

一方で、営業の仲間だけでなく、システム開発を担当するエンジニアにもチーム意識を持ってもらうことを心がけています。私たちの販売する商品はハードウェア単体ではなく、ソフトウェアもセットになったシステムです。このような場合、営業が受注したシステムをエンジニアが作り上げる、という流れ作業に陥りがちなのですが、それではエンジニアのモチベーションが上がりません。商談の段階でエンジニアにも情報共有し、「この予算ならどこまでできる?」と相談を繰り返して、一体感を強めてきました。

近年、若者の離職率の高さが問題になっていますが、弊社は離職率が低いです。社員を甘やかしているとも言われることもありますが、働きやすい会社であることは誇りです。

 

プライベートもアクティブに過ごす

妻とは会社で出会いました。彼女はもともと営業経理で、営業が契約してきた書類を管理してお客様に請求書を出す仕事。営業である私の書類提出が少しでも遅れると、彼女から猛烈に内線がかかってきて、よく大げんかしたものです。そうこうするうちに仲良くなり、気づいたら結婚していました。

妻が私の仕事を理解してくれているので、忙しいときや帰りが遅くなるときも逐一弁解しなくてよいのがありがたいです。その代わり、休日はできるだけ妻と娘の三人で出かけます。単身赴任になってからは、私が東京に行ったり、家族が大阪に来てくれたりします。旅行好きな家族なので、大阪からさらに北陸地方や中国、四国地方まで足を伸ばすこともあります。

趣味はバイクと登山。最近それに、フットサルが加わりました。当社のフットサルクラブに入り、練習や試合、ときには合宿と、スケジュールのやりくりに苦労するほどです。他部署の方ともネットワークが広がりますし、クラブの後、メンバーでお酒を呑むのも大きな楽しみです。

 

素の自分になれるGCCO

 

2年ほど前に前任の関西支社長から引き継いで、GCCO会員になりました。初めは、重鎮の方が多くて緊張しましたし、関西ゆかりの企業様が多いので、東京が本社である弊社の立ち位置も気になりました。でもすぐに、皆さまが立場や肩書きを脱ぎ捨ててくつろぎ、心から楽しんでおられることに気づきました。それぞれ、お仕事上ではいろいろなご苦労があるでしょうけれど、それを全部どこかに置いてきて、素の自分になれる場所。それがGCCOの魅力であり、私も今ではすっかり肩の力を抜いて楽しませていただいています。

私自身、部下には常々「相手に楽しんでもらうには、まず自分が心から楽しむこと」と言っています。そうすれば仕事上の接待であっても、お互いにとっていい時間になります。GCCOは、そんな私の信条が理想的に実践されている場だと感じています。これからも皆さまとご一緒に、楽しい時間を過ごせたら嬉しいです。

 

(インタビュー記事:ライティング株式会社)

 

会員様インタビュー一覧へ
入会申し込みはこちら