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繋-TUNAGU- 会員様インタビュー
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- 周りに流されず、自分の信じた夢を追う
【略歴】
1986年3月 大阪商業大学卒業
1988年11月 株式会社イターナルサービス(現 鳥貴族ホールディングス)入社
1991年4月 専務取締役就任営業本部長
2009年8月 (株)鳥貴族(現 鳥貴族ホールディングス)に社名変更
専務取締役管理本部長
2021年8月 (株)Find good設立 代表取締役に就任
人生を変えた、大倉忠司社長との出会い
東大阪に鳥貴族が創業した1985年、ちょうどアルバイト先を探していた大学生の私は、一号店のオープン2か月目から働き始めました。仕事の後には大倉社長とご飯を食べ、いろんな話をしたものです。
「中西君、人間には二つの使命があって、その一つは、いい世の中を遺すことや。先人たちの努力のおかげで、今の便利な生活があるんだよ。我々も、子どもや孫やもっと先の世代のために、いい世の中を遺さないとあかんのや」。4歳しか違わない社長が真剣に語る姿に感化され、私も自分の将来を少し真面目に考えるようになりました。
大学卒業後、私はある小さな会社に就職しました。鳥貴族ではない会社を大きくして、大倉社長と対等に話せるようになろう、と思ったのです。
ところが、わずか3か月で、「自分のいるべきところはここじゃない、鳥貴族に戻らなければ」と感じ始めました。でも、自分から「戻りたい」と言うのは癪です。私は毎月、自宅のある新大阪から、大倉社長が店長を勤める東大阪の鳥貴族に食べに行っては、内心では「はよう誘えへんかな」と待っていました。
無言のアプローチを1年半ほど続けた頃、人手不足に陥った社長から、ついに「戻って来いよ」とお声がかかりました。勿体ぶって「ちょっと考えさせてください」と答えたものの、心はとっくに決まっていました。
「会社を辞めて鳥貴族に入る」と話すと、友人たちからは笑われました。「なんで大学出て焼き鳥屋やねん。しかも3、4店舗しかない、給料も安い会社のどこがええんや」
しかし、気持ちは揺らぐどころか、今に見返してやるぞ、と奮い立ちました。社長は「全国に店を出す。上場もする。永遠に大きくなっていく会社を作る」と本気で言っていましたから、俺がそれを成し遂げましょう、という思いで再出発したのです。それからはずっと共に歩んできました。
1日16時間、不眠不休で働く日々
鳥貴族に戻った私は、店長を務めながら、時間を惜しんで業務マニュアルを作ったり、社員に研修を行ったり、人事制度や評価制度を作ったりしました。一度他の会社に勤めたことで、会社として何が足りないか、客観的に見えるようになっていたのです。
当時は毎日16、7時間、がむしゃらに働いていました。お昼過ぎに出社して、帰宅は早くても明け方の3時。仕事が長引くと朝になることもありました。家に帰ったらシャワーを浴び、5時間寝たらまた出勤です。休みは週1回、水曜日だけ。その日すら、ひっきりなしに電話がかかってきます。
子どもとは水曜日の夕方しか一緒に過ごせず、子育ては妻に任せきりでした。
振り返ると、この頃が一番時間的に余裕のない時期でしたが、会社の枠組みを整え、「会社を大きくする」という目標に着実に近づいていることを感じながら、楽しく働いていました。
やりたいことをやる。ブレないのが成功の鍵
2005年、東京に関東一号店を出店しました。東京では、飲食店どうしの仲の良さに驚きました。みんなで協力して飲食業界を盛り上げよう、という意識に共感した大倉社長は、関西でも同業者に声をかけて、情報交換し、切磋琢磨していろんなことを共同で行うようにしました。
今では関西の飲食店もみんな仲が良く、よきライバルになっています。同業者が集まれば、お客さんも集まる。東京でその姿勢を学び、関西で実行できたのはすごくよかったなと思います。
同業者と協力し合う一方で、大倉社長も私も、周りが何をしようと自分たちがやりたいことをやる、という姿勢は一貫していました。
例えば、リーマンショックの煽りを受け、居酒屋業界全体が激安・均一価格戦争となったことがあります。創業当初から「全品280円均一」を掲げてきた鳥貴族は多くの場面で引き合いに出されました。しかし、我々は「全品280円均一」をやりたいからやっているのであって、不景気で低価格にせざるを得ない状況とは根本的に異なります。そのため、周りに流されずに静観することができました。実際に1、2年のうちに、激安・均一価格戦争は終焉を迎え、多くの店は高価格での提供へと戻っていきました。
上場で会社は強くなる
さらに店舗を増やして名古屋に進出した頃、上場の準備を始めました。これで確実に、大きい会社の仲間入りができる。ついにここまで来たか、という感慨がありました。
最初に手を着けたのは労務管理です。残業や休日の制度を整理しましたが、仕事が苦にならない従業員は、「なんで働いたらあかんの?」という反応でしたから、その意識を変えることにも苦労しました。
労務体制が整ってきた頃、世間を揺るがすユッケ集団食中毒事件が起こり、飲食業界に激震が走りました。この事件を機に、衛生管理の審査が厳しくなったのです。社内の衛生管理を徹底的に見直したため、上場の審査に漕ぎ着けたのは準備を始めてから6年後でした。
時間はかかりましたが、リスク回避やトラブル対応の形が整い、強い会社になったと感じます。おかげで2014年から3年連続で、東証JASDAQ、東証二部、東証一部、と上場することができました。
鳥貴族を卒業しても、「正しく生きること」は忘れない
2021年、鳥貴族は株式会社鳥貴族ホールディングスへと社名変更し、持株会社となりました。ホールディングスになってからは、一日中パソコンと睨めっこの生活です。現場を動き回っていたい私は、窮屈さを感じていました。そしてまた、創業から今日までの会社の成長を見届け、自分の役割は果たしたかなとも思い、大倉社長と相談のうえ、鳥貴族を「卒業」することにしました。
大倉社長には本当にたくさんのことを学ばせていただきました。なかでもいちばん深くきざまれている教えは、「正しく生きること」かもしれません。
「正しい人間が集まれば、正しい会社になる」。社長と私の共有する思いです。社長が常に自分を律し、周りの人を優先する姿を、私はいちばん近くで見続けてきました。それこそが「正しく生きる姿」だと思いますし、今も私の指針になっています。
新しい出発を機に、GCCOに入会
鳥貴族を離れてからは、新しい会社「株式会社Find good」を立ち上げ、新鮮な希望に満ちています。とにかく動くのが好きなので、いろんなところに行きたい、世界を飛び回りたい。これからもマイペースでずっと動き続けていたいです。
身軽になった今、新しい出会いを楽しみたいという思いも強まっています。GCCOとは長くお付き合いさせてもらっていますが、実は入会したのは3年前です。入会してからは、ことあるごとにメンバーの方々を紹介していただき、仲良くさせてもらっています。皆さん気さくないい方ばかりで、話しやすく、何気ない会話にも多くの学びがあります。
バーベキューのようなイベントや、企業見学会も楽しみです。企業さんがメンバーとしておられるからこそ、普通では入れないところまで見せていただけて、とても勉強になります。
サロンとして使い勝手が良いところも、魅力の一つです。落ち着いて自分の仕事ができますし、銀行や証券会社の方との打ち合わせにも便利です。静かで、机が広く、コーヒーまで飲める。事務所のように活用しています。
GCCOに入会できてとてもよかったと感じていますし、知り合いにも勧めています。(笑)
老若男女に慕われるお人柄
中西さんと初めてお会いしたのは、12年前のことです。共通の知人にお願いしてご紹介いただき、お会いしてすぐに、すばらしいお人柄だと確信しました。
ぜひGCCOで講演を、と熱烈にオファーして実現した講演会は大盛況で、講演会の前後には若手経営者主催の中西さんを囲む飲み会まで開かれ、その求心力に改めて感銘を受けました。
一日店長をお務めいただいたときには、秘伝のタレを伝授くださり、当日は中西さんのお人柄に惹かれたたくさんのお客様がお越しになりました。何よりも、会場の温かい雰囲気が印象的でした。
これからも、フットワークの軽い中西さんのご活躍をサポートさせていただけるよう努めたいと思います!(編集子)
(インタビュー取材:ライティング株式会社)