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繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

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- 人をリスペクトし、誠実に向き合う――建築家として歩んだ人生
株式会社プラッツ設計 代表取締役
一般社団法人大阪府建築士事務所協会 会長
一般社団法人大阪府建築設計協会 代表理事
樋上 雅博 氏 Hinoue Masahiro
(略歴)
1955年 大阪市都島区生まれ
1979年 東京理科大学理工学部建築学科卒業
1979年 株式会社熊谷組入社、設計部所属
2000年 株式会社熊谷組退職
2001年 株式会社プラッツ設計一級建築士事務所開設、代表取締役就任
2012年 一般社団法人大阪府建築士事務所協会第8支部長・理事就任
2017年 国土交通大臣表彰受賞
2018年 一般社団法人大阪府建築設計協会設立、代表理事就任
2022年 一般社団法人大阪府建築士事務所協会 会長就任
2023年 黄綬褒章受章
材木屋の家で育ち、建築の道へ
昭和 30年、大阪市都島区で生まれました。実家は材木商です。当時は奈良県の吉野のほうで切り出された材木で筏を組み、川を下って大阪までやってきていた時代でした。子どもの頃は、父が運転するオート三輪の横にちょこんと座り、長堀にあった材木市場へよく連れていってもらいました。商人と職人とのギリギリの交渉や、その熱気を感じられたのと同時に“大工さんの職人技のすごさ"を気付かされる機会を得ていたのかもしれません。父の影響でしょうか。自然に「建築の世界で仕事をしていきたい」という意識がめばえました。
熊谷組で学んだ建築と、スキーが広げた人の輪

建築の道を意識するようになったのは、1970年の大阪万博です。「建築には、こんなに大きな可能性があるのか」と驚き、東京理科大学の建築学科への進学を決意したのです。
大学卒業後は、熊谷組へ入社し、意匠設計部に配属されました。寮生活によって、時に麻雀に興じるなか、試験勉強をするのに苦労しましたが、入社2年目には無事、一級建築士の資格を取得できました。
熊谷組では、幅広い建築の仕事に携わり、多くの経験を積ませてもらいました。オイルショック後の景気回復期の波にのり、テナントビルをはじめ、多摩ニュータウンなどの共同住宅などを設計させてもらいました。ただし、机に向かって設計業務だけをしていれば、人脈は広がらなかったと思います。この頃、スキー部に所属していたこともあり、ゼネコン同士の大会などにも参加していました。会社や立場を越えて交流できたことが、たくさんの人とコミュニケーションをとる原点になりました。
入社して20年が過ぎた頃でしょうか。バブル崩壊の影響が徐々に建設業界全体に広がりはじめ、これからの働き方について考えるようになりました。直接のきっかけとなったのは、独立した設計仲間の姿です。不況の最中で、楽な状況ではなかったはずですが、生き生きと仕事をする姿に目から鱗が落ちたのです。
そしてついに独立しました。社名にはドイツ語で「人々が語り合い、交流する広場」という願いを込め、プラッツ設計と名付けました。
会社員時代の顧客には頼るまい──という強い決意のもとの独立でしたから、最初はほとんど仕事がありませんでした。それでも焦らず、目の前の機会を大切にし、少しずつ仕事を増していく努力を続けるうちに次第と顧客の信頼も得ることができるようになりました。
社長たちと信頼関係を築く秘訣

独立直後に先輩のすすめがあり、一般社団法人大阪府建築士事務所協会へ入会しました。軽い気持ちでの入会で、当初は業務優先で協会活動にあまり積極的でありませんでしたが徐々に活動に参加するうちに、いつの間にか重要な役職をまかされるようになりました。
協会の会員は、それぞれが設計事務所を率いる経営者の方々です。確固たる経営方針をもち、責任を背負って設計や工事監理などを担当してきた社長たちと接するには、会社の上司と部下のような接し方は通用しません。どうしたものかとしばらく悩みましたが、解決策が見つかれば、それは決して特別なことではありませんでした。
「他者を尊敬すること」です。単に相手を持ち上げるという意味ではありません。会員はみな、独立した一人の建築設計者として社会から認められている存在です。上下はありません。現在会長を拝命していますが会長だから自分が上だという意識も、まったくありません。お互いを対等なパートナーとして尊重することが、組織をまとめるうえで何よりも大切なのではないでしょうか。まず相手の実績や考えを認め、心からリスペクトする──そういった姿勢を現在まで続けています。
建築関係団体とのつき合いも含め、業界への貢献が認められたのでしょうか。平成29年には国土交通大臣表彰、令和5年には黄綬褒章を賜りました。身に余る光栄だと感謝しております。
トップの役割とは何か

建築の仕事では、どれほど注意を払っていても、なんらかの瑕疵から逃れることはできません。保険があるとはいえ、ときには何百万円もの賠償を強いられることもあります。たとえ、自分の部下が一生懸命取り組んだ結果であっても、間違いがあれば、責任を負わなければなりません。ですがそんなときこそ、トップの出番であると私は思っています。まず間違いを素直に認めること。責任を人に押しつけず、トップ自身がお客様のもとへ出向き「申し訳ございません」と、誠心誠意、謝罪をすること。それも社長の大事なつとめだと思っています。
これは建築に限った話ではありません。どんな人でも、どのような職業でも、リーダーである以上、自分自身のことだけではなく、部下や組織の問題に直面することがあります。顧客からの厳しいクレームに接することもあるでしょう。大切なのは、間違いやミスが分かったときの態度ではないでしょうか。すぐに許していただけなかったとしても、真正面から向き合うことが、お客様から失った信頼を取り戻す第一歩になるはずです。
体を動かし、妻と美術館へ

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休日は、アウトドア派です。できるだけ体を動かすようにしています。最近はゴルフが中心ですが、小学校や中学校時代の友人たちとテニスも続けています。スキーも、近年になって再開しました。久しぶりに滑ってみると、まだ思った以上に体が動くのに驚きました。
いっぽう、妻と美術館へ出かけることもあります。絵画を鑑賞することが好きで、特にゴッホやモネの作品に惹かれます。設計者という仕事柄なのか、色の重なりや構図、作品に表れる力強さを、ついじっくり眺めてしまいます。日本の伝統建築や西洋建築ではガウディの建築にも関心があります。木造でありながら地震に耐える構造を生み出してきた日本の建築や、自然の摂理を建築に取り入れたガウディの発想には、ある意味現代の人間にこそ相応しい建築手法を既に考案し実践していることに感嘆します。また、時間があればギターを演奏したり、読書をしたりします。この夏は東野圭吾の『希望の糸』、外尾悦郎の『ガウディーの伝言』、覚張隆史の『日本人とは何か』などを読みました。スポーツで体を動かすいっぽう絵画鑑賞や音楽、読書を楽しむ時間もよい気分転換になっています。
GCCOとの出会いと、大好きなラウンジ
ガーデンシティクラブ大阪との出会いは、一般社団法人大阪府建築士事務所協会として入会した20年ぐらい前のことだったと思います。GCCOのなかでも特にラウンジが好きです。大阪の一等地にありながら、テーブルや椅子がゆったりと配置され、落ち着いた雰囲気のなかで食事や歓談を楽しめます。この立地で、これほどの空間とサービスを備えたラウンジは、ほかにはなかなかありません。年始のおせち料理なども、よく利用しますね。
公式な会議だけでは生まれにくい率直な会話も、ここでは自然に交わすことができます。建築の仕事も協会の活動も、最後は人と人とのつながりが大切です。これからも仲間たちと集い、語り合う場所として、末永く利用させていただきたいと思っています。私を見かけたらぜひ、お声をかけてください。
編集後記
今回、樋上さんのご活躍を伺うために取材をさせていただき、改めて感じたことがあります。それは、樋上さんは本当に人を大切にされる方だということです。
事務所へ伺ったときも、いつも明るく迎えてくださり、気さくにお話ししてくださいます。何気ない会話の中にも、相手を思いやる温かさや、周囲を自然と巻き込んでいく力を感じます。私自身、これまで仕事をする中で、何度も樋上さんに助けていただきました。迷ったときには進む方向を示し、悩んでいるときには背中を押してくださる。そのリーダーシップと人としての温かさに、何度も支えられてきました。
経営者として会社を導くだけでなく、人を信じ、その可能性を引き出していく。そんな樋上さんの姿を間近で見てきたからこそ、心から尊敬しています。私もまた、人を大切にし、その人の力を引き出せる人でありたいと、改めて感じました。(編集子)
インタビュー記事:ライティング株式会社

