Member
Introduction
繋-TUNAGU- 会員様インタビュー

- TOP
- Member Introduction
- 社員が働きやすい環境を整える
私の座右の銘「神は乗り起えられる試練しか与えない」
略歴 PROFILE
昭和24年2月生まれ
昭和47年 4月 大和ハウス工業株式会社 本社 入社
昭和59年12月 熊本支店へ転勤
以降名古屋支店、佐賀支店にて 経験を積む
平成11年12月 大和ハウス工業株式会社 退社
平成12年 2月 ディーエイチホーム株式会社 設立
平成29年 1月 行政書士法人アールエイチ事務所 設立
平成29年 6月 エスエイチホーム株式会社 設立
現在に至る
理解ある上司に恵まれた会社員時代

大学卒業後、住宅販売の営業マンとして、大和ハウスに入社しました。
51歳で退社するま で〝社内きっての問題児〞であり、たいへん自由にやらせてもらいました。
当時、住宅の値引きというのは3%ぐらいまでが許容範囲でした。
ところが、私は 15%ぐらいの値引で、強引に契約を決めてくるわけです。報告するなり、 上司に怒鳴られました。 「誰がこんな値引きを許可したんだ」と。 もちろん、 その反応は想定内です。「いけませんか?!では早速、契約解除してまいります」と言って席を立つふりをすると、上司は憤然としながら書類をバンと机に叩きつけつけ「もういい」と渋々許してくれていました。
このようなことが続くと、しばらくしてクビになるものです。ですが、理解ある上司に長年恵まれたおかげで、51歳で次長職を拝命するまで、平穏無事な会社員生活を続けることができました。お世話になった大和ハウスという会社には感謝の思いしかございません。その会社を辞め、独立することになったのはなぜか。自分でもよくわかりません。
たまたま、 私がリーダーとして任されたプロジェクトが、 中止になったことが直接のきっかけであることは間違いありません。ですが、そのときふと思いました。「これはきっと神様のお告げだろう。私自身で何かをはじめる時期なのかもしれない」 そのような軽い気持ちで会社を辞めました。私が〝独り身〞だったから可能だったのかもしれません。
軽い気持ちで独立

独立起業というと、サラリーマン時代に幅広い人脈を築いておき、創造的なアイデアをもとに資金を集め、確固たるビジョンをもち、不退転の気持ちでスタートするのが普通です。ところが、私の場合、何もありませんでした。本当です。
ただ、大和ハウスは想像以上に〝懐の深い会社〞でした。自己都合で退職した私に対して「社内に机と電話を置いていいよ」と許可してくれました。
ある日のことです。社内の方から声をかけられました。「工事車両を駐車するスペースを見つけてほしいんだけど」と。
ご存じの通り、住宅メーカーというのは、施主様の住宅を建築する際、資材や職人をトラックやバンで運ぶため、現場近くに車を停める駐車場の確保が最重要課題のひとつです。
数は平均で4〜5台分ぐらいでしょうか。これがなかなか、面倒でやっかいな仕事なのです。読者のみなさんは 「不動産会社に依頼すればいいじゃないか」と思われるかもしれません。でも、そうすれば、月額1万円以上する所しか見つかりません。おまけに、現場から遠く離れていて、実際には使いにくいような場所となります。
そこで、工事現場担当の社員が、現場近くの空き地などの登記簿をしらべ、土地所有者と交渉、工事期間だけ駐車を許可してもらうような作業に奔走することになります。担当したスタッフは例外なく、みな嫌がるのです。
でも、駐車場が確保できないと、いくら優秀な営業マンが住宅の契約をとってこようが、その住宅メーカーは工事をはじめることさえ不可能です。その意味で、ひじょうに重要な仕事といえるでしょう。たかが駐車場、されど駐車場なのです。
営業マンの平均年齢は60歳代?!

起業直後で手持ちぶさただった私は「え?!駐車場さがし」と疑問に思いましたが、何かの縁と、最初の数台分を、引き受けることにしたのです。
当時、これが現在の我が社の業務拡大につながるとは、夢にも思いませんでした。
初年度は250万台分の契約でした。駐車場経営9年目の現在は、何台分だと思われますか。グループ全体でなんと2万9013台(平成29年10月~平成30年9月)になりました。当初の100倍近い伸び率という驚異的な数字です。
起業当初、社員は私一人でした。ですが、仕事の依頼が次から次へと舞い込んでくるものですから、スタッフを雇わざるをえません。もちろん、何の実績もない我が社に人は集まりません。そこで、会社を退職したOB、私の知人などに片っ端から声をかけ、なんとかスタッフの必要数を確保してきました。現在50名です。スタッフの平均年齢は、60歳代だとおもいます。会社を定年退職したり、定年後自宅でぶらぶらしていたような人が、我が社のメイン戦力なのです。
「若い人がすぐに辞める」「優秀な人材は大企業にとられる」など人材難の問題は、我々中小企業が抱える永遠の課題のように思えますが、これまで「人材でない」と思い込んできた60歳代の人々を「人材である」と認識する「逆転の発想」でとりくむと、まるでマジックのように、あっという間に雲散霧消してしまいました。
日本は未曾有の高齢化社会を迎えていますが、いまの60歳代の方は、まだまだ元気です。私は、そのような方々に活躍の場を与えようという高尚な思想をもって起業したのではありませんが、結果として、ご高齢の方々に喜んでもらえるような活躍の場が提供できたのでしょう。これも起業の経緯同様、あくまで偶然です。弊社は、50歳代は若手、60歳代は働き盛り、70歳代は中年と呼んでいます。
文句を言わずとりあえずやってみる

スタッフの70%以上は、完全歩合制の外注スタッフであり、個人事業主です。歩合制なら、65歳を越えていても年金の支給条件を満たします。ただし、ガソリンスタンドでの給油時に使用できる法人用クレジットカードと、高速道路の料金が後払いになるETCカードは会社から営業マン全員に、支給をしています。
こうした費用が、自分の財布からの持ち出しとなると、外注スタッフの行動範囲がせばまってしまうからです。スタッフがはたらきやすい環境を整えてあげる、社長がやるべきこととは、これで充分なのです。
ところで、我が社の営業成績トップ3は、外注スタッフです。社員ではありません。大きな声では言えませんが彼らは一千万円プレイヤーです。やりがいを感じてバリバリとがんばってくれています。
周りの社長仲間からは「ニッチな分野の起業で、うまくやったな」「人材難の時代に、よく人が集まるな」と揶揄されたりしますが、前述した通り、私は何か特別な努力をしたわけでもありません。成り行きでこうなった、だけです。
ただ、やらねばならない仕事が目の前にあるのなら、文句を言わず、とりあえずやってみるという行動があれば、それでOKです。仕事とは本来、そういうものです。特別に高いIQや各界に華麗な人脈が必要というわけではないのです。
それでもただ一つだけ成功の秘訣を挙げよと言われたら、これまでの長い人生において、困難から逃げ出したことはない、ということでしょう。もし、この世に神様がいらっしゃるのであれば、乗り越えられない試練は、決して与えられないだろうと思うから、です。
GCCOは公私にわたり、あらゆるシーンで利用しています。たとえば、全国の支店や営業所の責任者会議は、本社の箕面ではなく、GCCOにて行います。アクセスが抜群にいいからです。会議はGCCOの個室を借ります。会議後の食事はそのままメインホールに移動します。二次会もGCCOで行います。ほうぼうに電話をして、大勢で移動するのは面倒この上ないですし、時間の無駄です。
これからも、よき会員の一人として、会員の皆様と仲良くしていきたいと願っています。
編集後記【会社はトップを映し出す鏡】
会社組織というのは「トップを映し出す鏡」とよくいわれます。そんなエピソードを一つご紹介させて頂きます。あるとき、GCCOでディーエイチホームさんの社内会議がありました。その直後、時間が押し迫るなか、スクール形式の会議室を、円卓の食事用テーブルに変更しなければなりませんでした。
GCCOのスタッフの手が足りず、焦りながら作業をしていると、なんと、社員の皆さんが、自発的にその作業を手伝ってくださったのです。そしてあっという間に完了。時間が余ってしまいました。驚いたのは、そのとき橋口社長は、別の部屋にいらっしゃって、とくに社員の皆様に指示をだされていたわけではなく、ということでした。社員が自発的に動く組織、我が社も見習っていきたいと思います(編集子)
(インタビュー記事:ライティング株式会社)

