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繋-TUNAGU- 会員様インタビュー
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- やせ我慢しても「笑顔」が、リーダーの努め
因幡電機産業株式会社
特別顧問
太田垣英士 氏
(略歴)
1979年4月 関西電力株式会社 入社
2005年6月 お客さま本部エネルギー営業部長
2007年6月 神戸支店長(執行役員)
2010年6月 お客さま本部副本部長(執行役員)
2015年6月 関電サービス株式会社常務取締役
2021年6月 関電サービス株式会社常務取締役 退任
2021年7月 因幡電機産業株式会社 特別顧問
祖父の背中に導かれて
私の祖父は、関西電力初代社長であり、黒四ダム建設の責任者でもある太田垣士郎。世間では硬派のイメージが強いかもしれませんが、私にとっては、小学校一年生の時に亡くなるまで、とにかくやさしい祖父でした。
父が他の会社に勤めていたこともあって、私自身は関西電力を意識しすぎることなく、のびのびと育ちました。大学卒業が近づき就職を考え始めた頃、父から「関西電力に入るように」と強く勧められました。祖父の背負った会社に入って「太田垣士郎の孫」と見られることには恐れもありました。それでも、家族から尊敬されている祖父がどんな世界でどんな仕事をしてきたのか知りたい、という思いが勝ち、同じ世界に身を投じることにしたのです。
入社してみると、初代社長の孫として多少の冷やかしは受けましたが、疎外感を感じることはありませんでした。私の鈍感さが吉と出たのかもしれません。その代わり特別扱いされることもなく、他の社員と同じようにしごいていただきました。
リーダーの心得は、やせ我慢しても笑顔
主に営業畑をあゆみ、やがて神戸支店長として二千名近くの部下を束ねることになりました。気づいたのは、トップまで情報が上がるのに時間がかかることです。そこで階層ごとの会議をやめ、「ラウンドアップ会議」として関係者を一堂に集めて一気に方針決定までしてしまう仕組みを作りました。これによって会社としての決断がかなり早まりました。また、私が一人で現場に出向き、社員から直接意見を聞く「プラっとコミュニケーション」(略して「プラコミ」)を始めるなど、社内の風通し向上に努めました。
一方で、社外からの巨大な不可抗力を二つ経験しました。
一つは電力の自由化です。私自身は、資源の少ない日本において重視すべきは価格競争ではなく、安定した料金で良質の電気を提供することと考えています。しかし、既に世界的な電力自由化の流れの中で、抵抗は不可能でした。忸怩たる思いを抱えながらも、より良い形での自由化を目指して力を尽くしました。毎週東京に日帰り出張しては制度設計の協議を重ね、お役所との折衝に苦労しましたが、このとき他の電力会社にまで広がった人脈は今も繋がっています。
もう一つの大きな打撃は、東日本大震災を契機とした電力不足です。お客様に節電のお願い、そして電気料金の値上げのお願いをせざるを得ず、営業として矢面に立ちました。
実は当時、値上げのお願いは二回しています。一回めは「関電さんも大変やね」と協力してくださったお客様も、二回目になると「ええ加減にしてください」。けれども、引き下がるわけにはいきません。ここが踏ん張りどころと自分に言い聞かせ、何度も足を運んで少しずつご理解を得るしかありませんでした。
社内に対しては、しんどい時ほど笑顔を意識しました。リーダーが難しい顔をしてしまったら組織は絶対動きません。自分が辛くてもやせ我慢して、周りを鼓舞しました。部長からは「太田垣さん、またみんなに元気注入してくださいよ」と言われたものです。私だけでなく営業の仲間たちのひたむきな努力のおかげで、なんとか値上げ実施日までにすべてのお客様からご理解をいただくことができました。
プロパー社員たちを育てたい
六十歳を前に、関西電力のグループ会社である関電サービス株式会社への転籍が決まりました。ここは平たくいえば、関西電力で勤めを果たし終えた転籍者を受け入れる会社です。しかし、与えられたぬるま湯に浸かっているのは私の性に合いません。親会社に依存するのではなく、自立できる会社にしなければと思ったのですが、残りの任期を穏やかに過ごしたい転籍者の一部からはなかなか共感が得られないこともありました。
会社を強くするには、会社の成長と個人の成長とがシンクロする世代を育て、活躍してもらうことが必要です。若いプロパー社員が育つ環境を整えることが、私の新たなテーマになりました。
新しい戦略を練ることが生きがい
関電サービスには六年勤めました。やり残したこともありますが、会社を去るときにプロパー社員たちから「10年後にお会いしましょう!」とのメッセージをもらい、彼らの「もっと成長するぞ」という決意を感じて嬉しく思いました。
関電サービスからの退職が決まると、妻からは早々に「辞めても家にいたらあかんよ!」と、愛のある(?)助言をもらいました。その言葉に背中を押され、かねてより縁のあった因幡電機産業株式会社に特別顧問として再就職しました。
会長は「助けを借りたいときは言うから、それまでは楽にしておいてや」と言ってくださいましたが、やはり、じっとはしていられない性格。「真のニーズはお客様のところにしかない」を合言葉に、因幡電機の脱炭素ソリューションを網羅した冊子を作成してエンドユーザーを訪ねるなど、お困りごとに寄り沿う試みを始めました。外から来た者として、新しい切り口を提案することに使命とやりがいを感じながら日々精進しています。
休日は、好きな人たちと心穏やかに
趣味はゴルフです。皆さんも同じかもしれませんが、会社員時代は、上司とお客様に挟まれた『接待ゴルフ』に苦しみました。今は開き直って、気の合う人としかプレーしません。上達よりも楽しむことを目的に、気の合う仲間とリフレッシュしています。
プライベートでは犬が私の相棒です。いま飼っているミニチュアシュナウザーは、今年で九年の長い付き合いになります。私が帰宅するとしっぽを振って出迎えてくれるのが嬉しいですね。犬と過ごす時間が、いちばん心が安らぐひとときです。妻も可愛がっており、まさに我が家のアイドル。ペットと泊まれるホテルを探して、二人と一匹で家族旅行するのも楽しみです。
一度知ればやみつきになるGCCO
関電サービスがGCCOの法人会員だったことが、ここに通い始めたきっかけです。肩の力を抜いてゆっくり話ができますし、抜群の立地で関東からのお客様にも便利に使っていただけます。関電サービス退職後も忘れがたく、因幡電機でGCCOの魅力をPRし続け、「こんなにいいところがあるのに使わないのはもったいないですよ」と、上司を口説き落として入会してもらいました。今ではすっかりヘビーユーザーです。
これからもGCCOはこの雰囲気であり続けてほしいです。そのためには従業員と会員とが一緒にクラブを守るという意識が必要ですね。ここには素敵なメンバーが集まっていますから、同世代だけでなく縦のつながりを強めれば、若い世代にもより魅力を感じてもらえるでしょうし、長く続く活性化に結びつくと思います。
(インタビュー記事:ライティング株式会社)